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紙芝居「宿命」
アランの「幸福論」の「宿命」をもとに制作した紙芝居。
宿命。われわれはどんなことでも、腕を伸ばすことさえも、自分の意思で始めることはできない。
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誰も神経や筋肉に命令を与えて開始するわけではない。
運動がひとりでに始まるのだ。
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われわれの仕事は、その運動に服従して、これをできるだけうまく完了することである。
だからして、われわれは決して決定はしないで常に方向をとるだけである。
たけりたった馬の首を向け直なおす御者のようなものだ。
しかし、たけりたった馬の首でなければ立てなおすことができない。
これが出発するということだ。
馬は活気づき、走り出す。御者はこの飛躍に方向を与える。
それと同様に、船も衝動がなければ舵に従うわけにはゆかぬ。
要するに、どんなふうにでもいいから出発することが必要なのだ。
そうしてから、どこへ行くかを考えればよいのである。
選択をしたのは誰か、私はそれを考えてみる。
誰も選択したものはない。
われわれはみな始めは子供なのだから。
誰も選択はしなかった、しかし誰もがまず行動した。
かくて天命は自然と状況から生ずる。思案する者が決して決定しないのは、そのためである。
学校でやる分析ほどばかげたものはない。
動機だの動因だのばかり詮索する。
だから、文法家のにおいのする抽象的な注釈は、徳と悪徳とのあいだで迷っているヘラクレスを思わせる。
誰も選択などしない。
みんな歩いているのだし、
どの道もまちがっていない。
われわれは、自分がしたわけではないのにできてしまっている選択を宿命と見たがるものだ。
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